日常に戻って9 作業療法士さん来訪 〜白血病編 移植に至るまで 患者の日常
3/14作業療法士さんの来訪あり、ゆるいストレッチなどリハビリが開始された。
日頃夜中のルーティンでやっている動きもあった。仰臥姿勢での両足引き伸ばし、股関節周りの確認、片足腿上げ、両足ついての腰上げ、片膝立ちからの足伸ばし、など度毎に酸素,心拍数を測り、異常ないか確認してもらった。これはパーソナルトレーニングそのもの。ダンベルや補助器具は使わないけれどやってきたことと一緒だった。後に1日の食事メモ、体重増減など伝えてくれるよう指示されたことも一緒である。家に来てくれて、患者の状態見つつトレーニングを行ってくれる。然も自己負担は格安である。ありがたい、それしかなかった。
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2009/4末から寛解導入法抗がん剤が始まった。歯科や頭頸、の各科を受診し、主治医B先生の夫同伴での概要説明があった。いわゆる二次性白血病であること、遺伝子異常(2番8番の転座→鬼の角のようなものがポキっと折れてしまっているらしい。)から,抗がん剤のみでは予後不良を否めないこと、移植を勧める、と話があった。ただ茫然と聞き、夫の致死率はとの質問に50%50%と答えられた。怖いですね、と聞いて、怖いですねーと答えられた。後に乳がん主治医が病室に立ち寄ってくれ、縋るような私を認め、後はこちらに専念して、と軽く手を振り、後退りするように去っていった。
そうこうしているうちに抗がん剤のお出ましとなり、鎖骨あたりからカテーテルを挿入され、7日間点滴棒に繋がれる生活が始まった。頻繁に採血があるので腕の血管では無理だったし、液漏れの恐れもあるので仕方ないが、最初のうちはカテーテルが鬱陶しく、吐き気も間断なく襲って、身を捩る事もできず、辛かった。あっという間に坊主頭のようになり、自分の抜け毛のチクチク痛みに必死でコロコロを転がした。一時、心臓がバクバクし、点滴の速度が早かったためということがわかってホッとした。血小板の輸血時、全身カーッとなって赤くなり発熱した.全身震え、ナースコールで緊急処置してもらい事なきを得た。血小板で反応する人が多い、とのことだった。よろよろしながら病院ロビーのミニコンサートを見たり、階上のコインランドリーまで同室の先輩患者に付き添ってもらい歩いて行ったりしていた。何年か前の屋上の出入り禁止を聞き、外気に触れられないことに悲しんだ。夕方になると巣窟となっている大きな木にカラスの群れをなした帰宅模様を眺め、少しずつ病棟に慣れ、話をする同病仲間もでき、閉鎖された特殊な環境での日常生活を送った。維持療法の1クール終了後は血球が上がってくるタイミングでご褒美のように外泊することができた。ルート保護シールとイソジン溶液綿棒をお土産に。この時ばかりは、皆患者は生き生きとメイクをしたり、服を着替えてお家に帰っていった。
移植前提で、ドナー探しが始まった。夫、娘,息子の採血が行われた。夫は論外だったが、娘,息子はHLA型フルマッチと言われ、2人のどちらか万が一の時は強い味方だ,と思った。その間にクリーンルームの見学をした。閉所恐怖症気味の私には無理だと思った。B先生よりセカンドオピニオンの承諾を得て、がんセンターのパンフレットをもらい紹介状を持ってがんセンターを訪れた。ワンフロア全部強力なヘパフィルターにより管理されていること、フロア内は病状安定していれば自由に動けること、何よりがんセンターの医師に完全寛解目指しましょう,との力強い言葉に背中を押してもらった。
維持療法終了をもって移植のためがんセンターに転院することとなった。
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T医療センターでの同病仲間との日々について追記していく予定。
また明日❗️
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