日常に戻って7 作業療法士さん来訪 〜乳がん編 術後抗がん剤→放射線治療まで
3/11 初回の作業療法士さん来訪があった。バイタルチェック後、足踏み、屈伸,腿上げなど行い、酸素量、心拍数の変化を見ていただいた。私の場合、すぐ心拍数は上がってしまうのだが、そこから落ち着いた数値になるまでが早い。歩き始めに呼吸苦しく、しばらくすると安定してくる実際と合致する。ステロイド服用者は心拍数が上がりやすいそうだ。致し方ない。身体の不安定さも自覚していた通り。正中線がずれていることを何度か整体で指摘されており,最終的に尾てい骨のずれからくるものと教えられていた。全身ゆらゆら揺り、おもちゃのボールの上に腰を乗せ左右にゆらゆらする、両足開いて左右に曲げ、パタンと閉じてはまた開く、背骨意識して背中丸まり、伸びて背筋伸ばす、一連の地味な動きをやってはいた。脳梗塞後は控えていたが、これを再開することにする。
後は付き添ってもらい、途中酸素量を見ながらポールウオーキングに伴走してもらう、そんな予定を立ててもらった。人に見てもらう、このことが如何にモチベーションを上げてくれるか、パーソナルトレーニングに通っていた時期、つくづく思ったものだ。元気も体力もないが前に進もう。
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同年9月、T医療センターで術後抗がん剤投与はスタートした。都合6回?またリクラニングシートに座り、時々うずき、手足の痺れに慄き、回数を重ねる毎に増す吐き気怠さ、便秘、血管痛と対峙した。何本か薄黒い血管ができていた。その頃は日差しの眩しさを感じると、車の中で流していたAIのstoryが身に染みた。ドライアイなので出るのは鼻水だったりしたけれど、心を揺さぶられた。この頃またアルバムを出して活躍されているようだ。
そして、やっと抗がん剤投与が終わる頃、放射線治療の準備が始まった。
放射線医師の和かな診察を受け、なにも副作用ないです、日焼け跡のようなものが残るだけ,と言われホッとした。その後放射線照射位置決めのためCT画像?から範囲を特定して、油性マジックで書き込んだ。網目模様で、まるでスパイダーマンのようだった。お風呂は身体擦らないで、と言われ、線が消えたらどうするのかと聞いたら、線を書き足しますとのことだった。
いよいよ放射線照射初日、天井のフレスコ画のような模様を見上げて、検査技師が慌てて照射室から退避するのを横目にポツンと照射台に横たわった。ジーという音と共に2分くらい、2クレイ❌25回の放射線治療(人生でのこれが被曝致死量と言われた)が始まった。翌日以降、倦怠感、脱力感、日焼け跡の灼熱感、に、抗がん剤よりダメージを受けた。これは身にあっていないと思った。だが粛々と時は進み、治療の待ち時間の短縮のため席取り争奪戦に明け暮れた。皮膚はどんどん赤黒くなって、酷い日焼けのようになり、皮も剥けて下着が擦れて痛かった。当時は患部冷却が良いとされ、患者会のアンケートに応募して、胸の冷却パットを送ってもらった。冷やすと2〜30分は楽になった。が、冬に向かう季節だったので寒くて長続きしなかった。病院内カフェでベーグル、ブルーベリージャム、クリームチーズをセットで食べながら、遅刻して出社する。これを楽しみに日々通って年内の一通りの乳がん治療が終わった。後は5年間、3か月に一度通院、採血、毎日抗ホルモン剤服用、適時骨シンチ、を続けて3年、先生へも感謝の手紙など綴り、体力増強のため運動に勤しんでいた。
3年後、そう来るとは夢にも思わず。
白血病発症であった。
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また明日❗️
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